障害児が大人になったら

息子は3歳児検診で発達の遅れを指摘されました。
それから専門機関を受診して、どうやら障害児らしいと分かった訳ですが、その事を精神科の医師から告げられた時、私は頭の中でちょっと変な事を考えました。

私は頭の中で、目の前のまだ幼い息子が成長してお爺ちゃんになって、老衰によって息をひきとろうというその瞬間、最期の言葉が、「いろいろあったけど、いい人生じゃった…。」であればいいなあ、という事を考えたのです。
我ながら、ちょっと変な事を考えたもんだと思います。

ところで、息子の障害がどんなものかと言いますと、ひと言で言うと、言葉によるコミュニケーションが困難という障害です。
彼は、ちょっと長い言葉は理解できず、また、自分から話す事も上手にできません。

なのでもしかしたら、「いろいろあったけど、いい人生じゃった…。」と、言えない可能性があります。

聴力などの検査もしたのですが異常はなく、発達の遅れについての原因は分からないままでした。
養護学校の高等部を卒業する頃に受けた検査で初めて「知的障害」という、診断名のようなものを聞かされたのです。

たまに発達障害の人は特殊な才能を秘めていて、成長した時に開花する…みたいな話を聞きますが、息子に限ってはそういう事はなく、産まれてからずーっと言葉による理解力や発信力が乏しいままの状態をキープしています。
そこのところが知的障害と発達障害の違いなのかもしれないと思いました。

実のところ、「息子は大人になったら何かしらの才能が開花するかも。」なんて期待もしてなくはなかったのですが、結局そういう事はありませんでした。

たまに「発達障害の子どもはのびのび育てて才能を潰さないように。」などという話を聞くと、ちょっと複雑です。
「のびのび育てる」と、「頑張ればできる事もやらせないで甘やかす」の違いは、全ての障害児が同じという訳ではないので判断が難しいところだからです。

先程息子について、「言葉の理解力が乏しいという状態をキープ」と書きましたが、子どもの頃のままをキープしているという意味ではありません。
それは、「健常者には及ばない」という意味であって、息子なりにはすごい成長をしているのです。

ちょっと前から息子は、自分の言った言葉を私に繰り返して欲しがるようになりました。

例えば息子が「ネコ」と言ったら私も「ネコ」と、言わせられます。
それは彼なりのコミュニケーションのとり方で、言ってる言葉は「ネコ」でも、意味は「元気?」とか「おはよう」などの言葉なのかもしれないと私は思っています。

それから、私に対して「見て」と、よく言うようになりました。
テレビの画面に可愛いネコをみつけた時や、我が家のネコ達の可愛い仕草をみつけた時などです。

それまではあまり自分から人に話しかける事のなかった息子でしたが、私に対して「見て」と話しかけるようになったのは、他人と積極的に関わりたいという気持ちを、言葉を使って表す事ができるようになってきたからではないかと思うのです。

この間息子は、「仕事で失敗しちゃった」と、私に言いました。
それからしばらくその事について2人でやりとりをしたのですが、その時私は、息子が自分の気持ちをゆっくりと考えながらではあるものの、きちんと言葉で表す事ができたのに驚きました。

こんなふうに、心の通じ合ったやりとりができるようになる日がくるなんて、思ってもみなかったのです。

私はいつも、息子が心に思っている事ってなんだろう?話してもらいたいなあ…と、思っていました。
その願いは、ほんの少しだけ叶ってきています。

障害児から大人になって今は障害者。
もう伸びしろはないだろうなと諦めかけていたのですが、どうやらそれは違うみたいです。
大人になっても、人は成長できるんだと思いました。


可能性は少ないかもしれないけど…もしかしたらだけど…、息子は、「いろいろあったけど、いい人生じゃった…。」と、心から言えるようになるかもしれません。